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 「とりあえず、障がい手帳を手に入れよう」 [過去文章]

障がい年金
 「とりあえず、障がい手帳を手に入れよう」

 発病から16年。
よくもまぁ、生きているもんだ。
 ここ数年はさすがに
コピーやライターの仕事も目減りし、
ハローワークなどに通っても、
障がい者にはなかなか求人はない。
あっても、たいてい面接まで行かない。
なぜなら、障がい者を雇う、
という姿勢を見せているだけだからだ。
障がい者を雇うなんて手間のかかることを
企業がする訳がない。
雇用するようなふりだけして、
お国に罰金を払う方がお得なのである。 

 昨年の4月、
どうも呼吸がしずらくなった。
枕を高くして調節するのだが、
肺の半分も吸えない状態で夜も寝ることができない。

ついに、来たか。

私はすみやかに病院に行き検査を行った。
心臓の機能がガックリ落ち、不整脈が増え、
肺は75歳の状態だった。
 
若い医師が言う。
「とりあえず、カテーテル検査しましょうよ」
大嫌いなカテーテル検査はいつもより大がかりだった。
そして、不整脈をできるだけ取り除く
キャリブレーション手術とペースメーカーの手術が行われた。
手術は麻酔がかかっているし、
傷痕の痛みだけだったが、
10何年振りに聞く自分の脈拍は
確かに規律正しかった。

  さて、病気は恐ろしい数を誇っている。
また同じ病名でも、その症状は異なる。
更にこの障がいの認定というのも、
色々な要素がからみあっている。
とりあえず、医師に病名を聞いてみて、
障がいになるようであったら、
すぐ病院の窓口で相談して、
診断書などの必要書類の手続きをしましょう。

  私の場合、パソコンで調べ
「ペースメーカーを入れた瞬間から
医療費が無料になる」とあり、
肺の検査もしたかったので、
すぐにしました。

・・・ところが。

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「再チャレンジと挫折」 [過去文章]

障がい年金③ 「再チャレンジと挫折」


 その頃はパソコンを取り入れ
自宅でSOHOをしていたので、
心臓病の会(仮称)を経て知り合った
同病の知人とメール交換をしていた。
 
 心筋症は海外で心臓移植する幼児だけでなく、
思春期や私のような働き盛り、
老後などいつ発症するかわからない。
そこで年金事務所の件を書メールしたら
「今は拡張型心筋症という病名だけで貰えるはずよ」
「元気よく行ったらダメよ。
一週間くらいお風呂入らないで、
車イス借りて行くのよ」
「向こうは上司にできるだけ
認めないように言われているの。
だから、病人らしさが見えないと難しいの」
などの忠告を頂いた。

 医師に診断書を貰い、
数日後に普通に行くと、またあの女性。

 「だから、あなたは病人じゃないの!
手が切れて(!)いるとか、
車イスとかならわかりやすいでしょ。
心臓ならペースメーカーしているとかね・・・。
これ診断書?どれ、見てあげる」

相変わらず上から目線の公務員だ。
・・・しかし、診断書を見ても何もわからないようだった。
拡張型心筋症、バチスタ手術と言えば、
当時、神の手を持つ須磨心臓外科医で
有名だったのだが・・・。

とにかく私に申請書も渡したくないようだ。
この女性担当者に診断書を見る権利もないはず。

「すみません、お名前聞かせて頂きますか?」
名札は付けていなかった。
「嫌よ」
疲れ切って私は全てをあきらめた。

 そして、私はあらゆる公的機関に行き相談をした。
そのすべての答えは
「自分で考えて、やるしかない」
というものだった。

 寝たきりになるまでは、自分だけが頼り。
幸いコピーライターなので、自宅で仕事もできたし、
東京での打合せも可能だった。
そして、失われた20年は個人的にも失われ、
診断前決まりそうだった結婚もあきらめ、
半分ひきこもりとなり、
パソコンの前に佇む人になった。

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「公的機関はできればお金を払いたくないのが本音」 [過去文章]

障がい者年金② 「公的機関はできればお金を払いたくないのが本音」


 病気に対し、
難病とは原因不明で治療体系がないもの。
更に日本国民の数に対してちょうど「難病」と言える
患者数であることが求められる。
これは、なんだか「?」だが、
癌のように多すぎると難病とは言いにくいし、
少なすぎたら稀有な例となってしまうからだ。

 だから私はラッキーだった。
拡張型心筋症は難病で、いまも難病だ。
あらゆる心臓の本に予後悪しと書かれており、
医師には来年には移植手術しなければ
死んでしまう、とも言われた。

 朝4時に会社の側のカプセルホテルに頭を突っ込み
9時30分に出社。
1日2,30本の仕事をこなし、酒を浴びる。
これで残業、休日出勤手当なし。
ブラック企業もいいところ。
そんな広告業界のストレスにやられたのだろう。

 退職金10万円貰って
会社を辞めた私は2年間眠りこけ、
3年目に自宅で仕事を始め
甥っ子に癒され症状が多少よくなった。
そこで、この障がい年金の手続きに行くのだが・・・・。

 私は初めて「公」の恐ろしさを知った。
心臓病でチアノーゼが出て顔が真っ青であったり、
呼吸不全がひどく車イスに乗る、
むくんで心不全でベッドの上、
というのはもはや最終段階である。

 ところがそれ以前だと、
心臓病は表から分かりにくい。
特に私はロン毛だったし、
禁酒禁煙で顔色も良かった。
駅からそこまで歩くので
多少呼吸は乱れていたが、
女性担当者はこう言い切った。

「私が見る限り、あなたは病気じゃないわね!」
「そんな障がい者手帳しまいなさいっ!」

 私はその日、
障がい者年金の手続きに来ただけである。
なんで、ヒステリックな保険事務所の女性担当者に
怒鳴られなければいけないのだろう。

  言葉が出なかった。

「とにかくね、医者に診断書書いてきて貰って、
それを私が見て判断するわっ!」

 帰り道、喫茶店で休みながら
恥ずかしながら少し泣いた。
虚脱感に襲われたのである。

 そして私は公的機関に憎しみを抱き始めた。

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「年金を納めないと支給されない障がい年金」 [過去文章]

障がい者年金① 「年金を納めないと支給されない障がい年金」

 まず、初めに言っておくが、
基本的に年金を公務員たちが
面白おかしく使い込んで(自分たちの取り分には手を付けず)、
その結果、長く年金を支払ってきたのに
「えっ、貰えないの?」という状況は変わっていない。
否。更に目減りしていくだろう。
お金持ちの団塊爺婆たちのために
なんで私たちの稼いだ金が消える訳?
「もうやめようぜ!」などどと言っている若者がほぼ正解だ。
だって君たちを支える年金を払う世代(次の子供たち!)はいないもの。

 でも。できれば、いますぐ年金を支払おう。

 稼いでいない場合でも「免除」というカタチで払ったことにしてくれる。
とにかく、払う意思を見せ続けること。
 
 なぜ?か。

 年金には「障がい者年金」というものもあるからだ。
私もまったく知らなかった。
拡張型心筋症という難病になったお陰で得た知識である。
老齢年金が70歳くらいまでは貰えないかも知れない今後、
高齢故に致命的な障害を持つ確率は高い。
障害を持てば仕事は難しい。
医療費はどうする?保険会社も厳しいぞ。
 
 「どうせ支払う義務もあるし障害にも備えているんだ」と考えた方が気持ちいいし、
障害者に「なってからでは」もう遅い「障がい年金」。障がい者手帳1級で
バス運賃半額だけではどうしようもありません(年金と手帳は別物)。

 だいたい(もらえる確率の低かった)年金がもらえるなんて
嬉しくありませんか。

 まぁ死にかけだから貰えるんだけど。
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「舟を編む」 [過去文章]


未熟児で産まれ、幼いころから「落ち着きがない」と評価され、
まったくそのままに育った私である。
コピーライターという職業をしていたからとその性分が治る訳ではない。
実際、何回誤植をしでかし、会社やお客様に幾度ご迷惑をおかけしたかわからない。

もちろん、その度に反省するのだが、粗忽者につける薬なし。
よって三十路あたりからは営業やデザイナーなどの同僚に
「読み合わせ」という校正を依頼するようになった。
ひとりが音読し、もうひとりが目で活字を追う。
なかなか明るい残業、コミュニケーション上もよい。
「こりの校正は危険!」とまで言われた甲斐があるというもんだ。
もちろん、最終責任はコピーライターにあるが、これでだいぶ赤字は減ったと思われる。

・・・先日、めずらしく新しい作家(三浦しをん)の小説をもとにした
『舟を編む』という映画ビデオ)を観た。
落ち着いた好感の持てる話だったが辞書をつくる話なので、校正のシーンに目がいった。

(・・・あまい)。

あれだけのページ数を持ち、常に新しい部分がちょこちょこと追加される辞書。
いくらアルバイトを雇い徹夜でやろうが出るときは出るのが赤字だ。

しかし、広告と違いいちいち辞書の赤字に目を光らせる者はいないだろう。
広告は文学ではなくビジネス
だから、赤字などしでかしたら、すぐに広告を出したクライアント様に密告されてしまう。
広告部の担当者は飛ばされ、営業は土下座、コピーライターは首である。

そんな積年の恨みもあってか、私は「誤植」にやたらうるさい。
広告そのものにもうるさいし、表現にもコンセプトにも、出演者や犬猫にもうるさい。
残念ながら、初老故にその切れ味は多少錆びついたが、まだまだ。

特に、自分ではないコピーライターが書いた文章の赤字発見ほど楽しいものはない。
ただ、つまらないのはウェブという奴。
せっかく教えてあげても「そっすかー、直しときます。サンキューすぅ」って。
えーいっ、新聞や雑誌、パンフレット、テレビのように「大事」には至らないのか。
ちょこちょこっと直してしまえば「問題なし」かよ。畜生めだ。

ちなみに『舟を編む』を観てひとつ気になったのは、時代の早さだ。
電子辞書は当たり前だし、紙媒体は瀕死状態。
松田龍平はあまちゃん好演で好調。
そして「真面目」の面白さなら、きちっとスーツを身に纏い、
ビジネス用語を巧みに扱い、
礼儀正しくオレオレ詐欺に励む若者たちの方が何かと凄い気がする。
松田龍平の父、故・松田優作の「あ?」のように。
そう、救われない時代に向かって舟は漕がれている。
中途半端な過去は洒落にならない。

ちなみに私は「舟を漕ぐ」のが好きである。
春悶々。←こいつをコピーと感じる人は広告マンタイプ、誤植と感じるのは辞書の人だ。
ちなみに、この文章に赤字があっても問題はない。なぜなら、ビジネスではないからだ。 


今や毎日、大新聞社が誤植を出し、謝罪してる。
昔なら、一文字間違えただけで、飛ばされたのに。
マスコミって本当、頼りならないわぁーー;w
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「佐藤祐介さんの現在とは?って、佐藤祐介ってだれよ?みたいな」 [過去文章]


佐藤祐介さんの現在とは?^@^;w

https://www.youtube.com/watch?v=GatHSMiZhwk

↑若い原田美枝子さん^@^wクリックしてみ。


「一身上の都合」で役者をやめて
故郷の新潟に帰って今会社員をしているそうですよ!
佐藤佑介(俳優)生年月日 1959年7月3日(57歳 )

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東京新宿区出身。東京都立代々木高等学校卒業。
かつてはサンミュージックに所属。
同姓同名の俳優(1982年生の佐藤佑介)がいるため、
しばしば出演歴が混同されて記載される場合がある。

1972年に新宿紀伊国屋に買い物に出掛けた際
CMディレクタ-の杉山登志に見出され、
同年、資生堂のTVCMでデビュー。
当時は美少年として注目をされていた。
俳優デビューはサンミュージックに所属した1974年から。
当初は、青春を描いた映画やテレビドラマに多数出演し
秋吉久美子や原田美枝子、桜田淳子などの相手役を務めた。
その後は大岡越前にレギュラー出演するなど
時代劇の映画や舞台で活動していた。


で、 なんで、おいらが 佐藤佑介さん書くのか?!

そう、おいらが高校一年生の時、
激似してると言われたからだーー;w

佐藤佑介さん、
悪いけど時代は暴走族時代、
軟弱系の美少年に
あんまり似てると言われたくなかった。

しかし、こうよーく見てみると、
髪形が8:2というとこだけでなく似ているw
つーか、おいらの方が弱そうw
うーん、ナヨッ、としてるとことも似てるかもなぁ^@^w
そうか、リーマンしてんのかぁ。嬉しいなぁ。

佐藤佑介さんてチャン・グンソクに似てない?つまりおいら似ているんだな^@^v

t02200305_0693096012797864709.jpg


https://www.youtube.com/watch?v=NM9XwZqps2o
↑クリックしてね^@^w

佐藤佑介さんはラーメンのCM「私作る人、僕食べる人」に出演したが、 このCMが女性蔑視として訴えられたんだよね。


中三修学旅行のおいら^@^;汗だくw
清水寺のポスターでギター弾き真似していますね。
似てるかもな^@^;w

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手術日記➂「ペースメーカー」 [過去文章]

第三話 ペースメーカー

ペースメーカーってすげぇ昔から馴染んでる言葉だし、

最近ではエベレストさえ登ってしまって、なんか心強いっす。

ハワイの叔母さんももうダメ?でペースメーカーして復活!

今年もジャム作りしているらしい。

だがよう、おいらのは、埋め込み式のなんちゃらでさぁ。

3本の電線みたいの入れるんす。

で、難しいのが、3本目。心臓の後ろから入れるらしい。

でも、まぁ、おいら全身麻酔で寝てるし・・・って、

ゴメンよう、手術付き合ってくれたおふくろさん81と妹さん4@ーー;

7時間?聞いてないよなぁ?2、3時間て言ってたのによう。


第五話 妹。

兄や父の手術の時はおいらが頑張ったが

今回は他所にお嫁さんに行っている妹さんに頼んだ。

なんせ母も兄もこういうの苦手で、やってくれないんだよね。

で、妹ちょうど義理母の介護病院通い続いているから、やってくれたのだ。

感謝感激雨あられ。

で。まぁ退院してまつが。
1.呼吸が深くできるようになった。 2.傷跡が早く治っている。 3.精神的に落ち着いた。

といいことばかり。さぁ、無理はしないが、頑張るぞ^@^w


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手術日記②「アブレーション手術」 [過去文章]

ガタブルである。

手術はカテーテルを心臓やら血管やら心筋に突っ込み、
よーするに、不整脈を起こす悪い電気を焼いてしまうものである。
わからんと思うが、心臓も電気信号で動いてる。
なのに、それを邪魔する電気信号もいる。
そいつを焼き切ってしまうのである。

そう、心筋をドテ焼きするのだーー;痛w

ところが、全身麻酔(静脈)にしてくれたので、もう、こり、ぐっつりw
…起こされても快適。ん?だが、なんか手術スタッフがぼーっとしてる。

「あー。こりさん、実は今日不整脈出なかったんですよ?」
「へ?」
「出るようにしてみたんですが、全然、不整脈出なくて。
ですから、もう、このアブレーションはかえって身体に悪いから、
やめて明日、ペースメーカー入れる手術にしましょう!」
「はぁ。しかし、一万なんぼもあった不整脈がなんで出なくなったんですか?」
「さぁ。先週の患者さんもそうでしたよ」

…まぁ、痛くないし、剃毛されただけなので、いっか! で、病室に戻るこり。

よく食べるし、看護婦さんはみんな若く可愛いし、
これで、手術も中止なんて調子良すぎるわ(わりぃ予感ーー;)w

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「手術日記①」 [過去文章]

1997年(平成9年)7月23日 。
真夏の日差し中、僕は辻堂は海につながるサーファー通りを歩いていた。
二ヶ月前に辞表を提出し、これからはサーフィンでもやりながら、
パン屋にでも勤めようと決めていた。
そう、まだ、バブル崩壊がピンと来ていない陽気な頃。
僕は引越しの荷物を業者さんと共に部屋に運び込み、
これからの生活を思った。
「とりあえず彼女、だな」
額を伝う汗もなんとなく爽やかだ。
引越しが済んだ翌日、会社の検診の追跡調査が来ていたので、
「もう、これからはサラリーマンじゃないんだから…」とS病院へ。
物腰の柔らかな女医さんは聴診器を当てながらソワソワしどこかへ電話。
しばらくすると、手術着を着た医師がやって来て
「キミは明日にでも心臓移植しなきゃ死んでしまうんだぞ!」
何、言ってんのかわからず薄ら笑いを浮かべてしまったが、
神の手須磨医師がこの病院にいて、
ちょうどバチスタ手術を広めたところであったのは幸いであった。
病名は突発性拡張型心筋症…予後、悪しきしか書かれていない難病だ。

はぁ。あれから15年かぁ、失われた15年だねぇ。
まぁ、甥っ子がちょうど生まれてすごく救われたが…。
その後、自宅でいわゆるSOHOしながらミクシしたり、呑み行ったりの相変わらず。
でも、病の傷を老いは確実に狙ってくる。
今年、否、三年前からまた呼吸が苦しくなっていた。
それが突然、肺の半分、息を吐くことができなくなったのである。
…左心室駆出力29、約1割の不整脈、75歳と同様の肺活量…。

アブレーション手術、ペースメーカー、SAS診断(無呼吸症候群)が、 パッ、と決まった。

第一話 剃毛な夜。
 
入院はなぜか夜。と言っても夏の夜、ショーパンが目を誘う。
とりあえず、最期な気分で、身体に悪そうなハンバーガーを食う。
手術と言っても昔のように、開腹ではない。
カテーテルでチョチョイだ。…だが、麻酔が局部だけなのが怖い。
妄想力が爆発して怖いのである。

 「こりさん…」「ん?はい」
「あ、看護婦の良美と言います。
あのぉ、明日、手術ということで、今晩は剃毛しなければいけませんの」
…二十代の可愛い子になんでまた剃毛されんといけんのじゃーー;泪
つい、
「あ、あっ、もう、ここ、使ってなくてミニサイズ…」
あうっ!無視かよっ!当たり前だ。向こうはプロの看護婦さんなのだ。
言わなくていいことだったのだぁ。
で、ふたりの間には、クールなSMの予感が淀みながらも
何もなく恥ずかしい儀式は幕を閉じたのであった。(続)
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「大嫌いな広告代理店」 [過去文章]

だいたい仕事関係ではそんなに悪い思い出はない。

仕事=人間と考えているおいらは人間関係も大事にしていたからだ。

その会社には鳴り物入りで入社した。

三十路頃、小さな賞を取り、高い競争率を乗り越えて入った。

広告代理店というのは、いくつかのチームに分かれて、それぞれが争っている。

だから、優秀な人材がいても雰囲気はよくない。

最初の日、生意気そうな上司に

「おまえ三十路でこんなとこ来るようじゃ、相当、馬鹿だな」ーー;汗だくw

普通、こんなこと言うか?

しかし、だ。おいらも天狗の鼻状態だった。生意気だった。

自分と同じ程度の奴らとは仲良くしたが、下は見くびったし、

やる気のない上司は馬鹿にしていた。

仕事は楽だった。毎日、5時帰り。

社内の重要なコピーはおいらが書いていた。が、満足はしていなかった。

基本。いいアイデアが出たら「ナイスジョブ」なーんて雰囲気が、一切無いのである。

つーまんないのである。

しかし、さすが代理店。女子社員はミニスカで派手もいいとこ。しかし、キツイのばっか。

そんな中で、同じ方向から通う新人女子に少し惚れた。

が、相手は23歳くらい?おいらは三十路。

そう、この年の差は当時は受け入れられなかったのね。

おいらと反目しあってた奴に「おまえ彼女にしつこくすんなよ!」なんて言われて。

しつこいって、朝、挨拶しただけなのに…。ストーカーかいっ?

結局、ここの人間関係を通過できなかったのが、

おいらの敗北につながるのだが、まっいいか、とも思える。

その後の会社で身体壊したが、笑ってやれたもんな!



さて、今の人たちはどっちを選ぶのかな?^^;w
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